旅行作家・小竹裕一の〈世界・旅のアラベスク その7 インド編〉

こんばんわ〜今週は2回目の投稿です!

そしてお待ちかね!異文化間コミュニケーションでおなじみの小竹先生の旅行記・インド編第2回です

春休みが終わって、勉強モードに入るときに、ちょっと面白いけど為になるもの読みたいなーと思った人いるはず!

是非是非その時間に読んでね!


〈これまでの記事〉



〈世界・旅のアラベスク〉
(その7)
『インド人との「闘い」』
〜なぜインドの旅は疲れるのか!?〜


↑インド観光のハイライト・「タージ・マハール」(世界一美しい墓、といわれる)を背景に


インドを旅していつも思うのは、〈インドは疲れるナー〉という感慨である。

デリーについた夜、ホテルの部屋で〈ヤレヤレ…〉とため息をつき、まずシャワーをあびて長旅のつかれをいやそうとした。

ところが、である。バスルームに入って、シャワーのコックをひねっても、熱いお湯は出てこない。季節は2月で、夜半はけっこう寒いのだ。

でも、もう時間はおそいし、〈これがインドか……〉と考えて、ガマンしてなまぬるい水で行水した。


つぎの日、終日歩き回って、夜8時ごろ宿にもどった。さっそくバスルームでシャワーを浴びようとしたのだが、また熱いお湯が出ない。

〈他のお客が同時にシャワーをつかっているので、こちらにお湯がまわってこないのかナ……〉と考え、前夜と同様にガマンしてなまぬるい水を浴びた。

そして、翌日は早めに夕方6時ごろホテルに帰った。〈今日は熱いシャワーが浴びられるだろう……〉と思ったのだが、またまたなまぬるい水しか出てこなかった。

〈インドはやはりまだこのレベルなのかナ…〉と半分あきらめかけたとき、どうしたわけかフッと頭の中に「低コンテキスト」という言葉がひらめいた。


低コンテキストの「コンテキスト」というのは、ふつう「文脈」を意味する言葉だが、異文化間コミュニケーションの学問分野では、コミュニケーションがなされるときの「その場の状況」、あるいは「社会的な文脈」のことをさしている。

つまり、人と人とがコミュニケーションをとる場合、真空状態でしているのでは決してなく、そこに「コンテキスト」とよばれる諸々の要素がからみついているのだ。

その人間同士のコミュニケーションにおいて、とりかわされる情報の多くが口からの言語に含まれ(「雄弁は金」)、二人をとりまくコンテキストの量が少ない文化を「低(疎)コンテキスト文化」とよんでいる。

アメリカやドイツが代表のこの低コンテキスト文化に対して、日本のように「沈黙は金」で、言語情報よりもその場の“空気”や社会的な暗黙のとり決め、了解などのコンテキストが力を発揮する「高(密)コンテキスト文化」がある。

お湯が出ないバスルームの中で、わたしの脳裏に「低コンテキスト」という単語がひらめき、それにつづいて「国際会議ではインド人を黙らせることと、日本人に発言させることが最もむずかしい」というジョークを思い出した。


〈そうだ、インド人が低コンテキストなら、言葉でガンガンいってみることが必要だ!〉と思い直したわたしは、すぐ部屋の電話をつかって、ホテルのフロントに「3日連続でお湯が出ない!」と苦情をいってみた。

するとどうだろう。意外な答えが、受話器の向こう側からかえってきたのである。

フロントの男性によれば、「このホテルでは、朝の5時から10時までは、全部の部屋にお湯が出るようにしています」というのだ。インド人は、朝起きたときにシャワーを浴びる習慣なのだろう。

「では、そのあとは?」とつよい調子でいうと、「そのあとは101へ電話をして下さい。要望があった部屋へだけ、熱いお湯を流すシステムができています」との答え。

〈エッ、インドで、そんな気のきいたシステムが可能なのか…〉と半信半疑のままに、「じゃあ、とにかく今すぐお湯をわたしの部屋に流すようにして下さい」といって、受話器をおいた。

指示されたように5分待ってシャワーのコックをひねると、あらふしぎ、待望の熱湯がほとばしり出てくるではないか!

やはり、問題があったら、口に出していってみるべきだった。自分でいろいろ勝手に考え、ガマンしてはいけないのだ。

高コンテキストの“きわみ”の国・日本を出たら、すべからく言語で自分の思っていることを表現し、相手に伝える努力をするのが肝要なのである。


さて、バスルームの「お湯問題」がめでたく解決して、村上春樹ばりに〈ヤレヤレ…〉と思ったわたしに、一難去ってまた一難、再び頭を悩ます問題がふりかかってきた。

インドへ来て4日目の早朝だったと思う。ホテルの廊下から聞こえてくる物音と人の声で目がさめてしまった。

時計を見ると、午前6時すぎ。〈こんな朝っぱらから、チェック・アウトする人がいるのかナ…〉と思いながら、再び眠りにつこうとしたが、不思議なことに、人の話し声がずっと続いて眠れなかった。

その日は寝不足で、町歩きにも気分が乗らずじまい。それで、夜は早めにベッドに入り、ゆっくり充分な睡眠をとろうと思った。

ところが、である。明け方、またまた人の話し声で起こされてしまったのだ。〈これはおかしい。誰が何のために、こんな朝から話しているんだろう…〉といぶかしく思い、度胸をきめてソッと部屋のドアをあけて、外をうかがった。

すると、目の前のふだんは閉まっている部屋に、数人の若いインド人男性がイスにすわってダベッているのだった。

そろいの服を着ているので、ホテルの従業員のようである。

“騒音”原因はわかったが、もうこうなると怒りで眠ることができない。9時まで待って、すぐ階下のロビーにおり、フロントにいる男性マネージャーに苦情をいった。

30代後半ぐらいの細面の男。赤いネクタイをきちんとしめて、スーツで身をかためているが、声が小さくて、どうにもたよりげない。わたしの説明を聞いて、「明朝はなんとかします」といった。

しかし、やはりここはインドだった。翌朝も、ホテル従業員の話し声で眠りがさまたげられた。

〈あのマネージャーはいったい何をしたんだ!?〉とブチ切れたわたしは、すぐフロントに電話して、つよく抗議した。5分ほどしてようやく静けさが訪れたが、朝食のあと問題のマネージャー氏に怒りをぶつけ、即刻部屋を変えることになった。

またまた、〈ヤレヤレ………〉である。このマネージャー氏といい、朝からおしゃべりに興じる従業員といい、インド人の仕事に対する姿勢、熱意といったものに、残念ながらハテナの疑問符をつけないわけにはいかなかった。


さて、デリーをいろいろ歩き回って、わたしが感動し、〈これは文句なく一見の値打ちがある!〉と思ったのは、クトゥブ・ミーナールだった。

「ミーナール」というのは、イスラム教のモスクにある尖塔のこと。インド最初のイスラム王朝である奴隷王朝(1206〜1290)のとき、ヒンズー教徒に対する勝利を記念して建てたといわれる。

ニューデリーの南やく15キロの郊外にあり、わたしは地下鉄のイエローラインで行った。この世界遺産にもなっているクトゥブ・ミーナールは、駅からけっこう離れているというので、駅前でオートリクシャーに乗った。

このインド独自の乗り物・オートリクシャー。小型オート三輪のうしろを二人がけの座席にしたスクーター・タクシーで、インドでは“庶民の足”として町中を走り回っている。

デリーなどの車が多い大都市で乗るのはかなり危険だが、郊外や地方の田舎町では料金も安くて重宝した。(ただ、女性ひとりで乗るのは、どこへ連れていかれるのかわからないので、たいへんあぶないようだ。)

中年男性のオートリクシャー運転手は、途中おみやげ屋に寄ろうとはしたが、料金(50ルピー、約80円)についてふっかけるようなことはしなかった。

それで、めざすクトゥブ・ミーナールに無事着き、高さ73メートルのすばらしい尖塔を見上げて、〈ヤレヤレ………〉と安心し、油断したのがよくなかった。


“事件”は、入場料を払うときに起きた。インドの他の観光地と同様、ここでもインド国民と外国人観光客とは窓口がちがっていた。インド人はひとり30ルピア

(約48円)ぽっきりなのに対し、外国人は500ルピア(約800円)だという。

外国人用窓口には2人の係員がいて、わたしは20代後半ぐらいの若い美形のインド女性の方にならんだ。

わたしの番になって、あいにく小さいお金がなかったので、手持ちの2000ルピア札を差し出した。

入場券とおつりを受け取ったとき、彼女の美しさに頭がボーッとしたのか、日本円(入場料500ルピアは、そのときのレートで約1000円)と、もらったおつりの1000ルピアをごっちゃにしてしまい、なんとなく納得してその場を離れてしまった。係員の女性がおつりをごまかすことなど、夢にも思っていなかったこともある。

しかし、なにか心にひっかかるものがあったので、とにかく日本円のことは忘れて、ルピアのみでもう一度計算してみた。

〈入場料は500ルピアで、支払ったのは2000ルピア札。おつりは1500ルピアでなければ………〉と、ここまで考えたとき、思わず「だまされた!」と叫んでしまった。

すぐ彼女からもらった1000ルピア札を持って窓口へとって返し、「おつりがおかしい、ちがっている!」とつよくいうと、係員の女性は「あっ、そうでしたか………」といいながら、何くわぬ顔をしてわたしに500ルピアを差し出した。


アブナイ、アブナイ、インドでは油断もスキもあったものではない。

デリーの次に行ったアグラのホテルでは、飲料水をめぐってひともんちゃく起こった。

投宿して2〜3日は、飲料用のミネラルウォーターがなんの問題もなく、毎日3本ずつ部屋に支給されていた。

ところが、ある日の夕刻、外出から部屋にもどってミネラルウォーターを飲もうとしたら、3本とも開き口が密封していなかった。

旅行ガイドブックで、「あきびんに水道水を入れて出すことがあるから要注意!」とあるのを読んでいたので、すぐフロントに電話して、とり替えるように要求した。

フロントの男性は「そんなことはないと思いますが………」と言を左右するので、ここでまた大激論。

ことほどさように、インドの旅はどこへ行ってもつねに気が抜けず、ホトホト疲れ果ててしまうのである。

(次回につづく)


インド編はまだ続きます!

この春休みも旅行に行っていた小竹先生の旅行記、次もお楽しみに!


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