みなさんお待ちかね!旅行作家・小竹裕一の<世界・旅のアラベスク ポーランド編最終回>
どんどん寒くなってきて、別府の冬がどれほど寒いのかドキドキしてます
もうすぐでクオーターブレイクです!
休み目前の今回は、あの旅行の連載です!
APUの異文化間コミュニケーションの授業でおなじみの小竹先生に、新しく旅行記、書いてもらいました!
授業でもたくさんの海外での経験を語ってくれていますが、先生はたくさんの事件を経験してきました
焼き芋事件とか、くずかご事件とか…
話したいことをぎゅっとまとめて、今回は今まで4回続いたポーランド編の最後です
過去の記事はこちらから!
授業を受けたことがある人もない人も、きっとみんなが楽しめる!面白いです!
<世界・旅のアラベスク>(その5)
『ポーランドの髪結い亭主と
「第3次世界大戦」〜バチカン放送はなぜ重要なのか〜』
ローマ法王が2016年の8月末にポーランドのアウシュビッツ収容所を訪れたことには、決して見逃すことができない深い意味があった。それは、ここ数年来彼がなんども言及し、警告してきた「第3次世界大戦の可能性」と密接にリンクしている。
2015年の夏、オーストリアを旅したとき、私はウィーン駅で大勢の難民を目撃した。彼らは戦火のシリアから命からがら逃げてきた人たちなのだが、この同情すべき難民に対するオーストリア人大衆の目は冷たかったように思う。
じっさい、近年急速に党勢を伸ばしている極右政党・オーストリア自由党のハインツ党首は、「我々の文化に相いれない移民を無制限に受け入れれば、そのうち内戦が起きることになる」とまで発言しているのだ。(2017年1月4日付・読売新聞)
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2016年6月の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めたイギリスでは、女性のメイ首相が2017年に入ってEUからの「完全離脱」を正式に表明した。イギリス国民の反移民感情に配慮し、移民の流入規制を優先させるためだという。
アメリカでは、2017年1月20日に大統領に就任したドナルド・トランプ氏が、選挙期間中から「経済のグローバル化によって、仕事も富も奪われた。いま必要なのは“アメリカ・ファースト(米国第一主義)”」と述べ、実際にTPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱に踏みきった。
トランプ大統領は国の壁を高くして、外国の製品や移民がアメリカに入ってくるのを抑えようとし、また米国企業がメキシコなどへ工場を移転することを強く非難している。
こうした国際協調やグローバル化へ背を向け、孤立主義と保護貿易主義に向かうアメリカの姿は、第2次世界大戦前の世界を思い起こさせる。
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当時、1929年に勃発した世界恐慌による長期不況のなかで、19世紀以来イギリスが主導してきたグローバルな自由貿易体制が行き詰まった。欧米列強の各国は、自分の経済圏を守ろうとして、「ブロック経済」を形成した。その結果、世界経済は失速を余儀なくされた。
そうした状況のなかで、ドイツにおいてヒットラーの極右政党・ナチスが総選挙に勝利し、合法的に政権をにぎったわけである。
この「いつか来た道」をすでに数年前から指摘し、世界戦争の危険性を訴え続けて来たのが、他ならぬローマ法王だった。他の民族への差別と不寛容と憎しみが、世界の人々を狂気にかり立てた歴史的事実の“生証人”たるアウシュビッツへの訪問は、きわめて今日的な意味があったのだ。
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ローマ法王のバチカン国(イタリアの首都・ローマに隣接している)は、毎日世界へ向けて「バチカン放送」を流している。
法王庁は、全世界に散らばるカトリック協会から入いる情報を総合し、かつ長い歴史上の事件やできごとを考慮にいれたうえで、冷静な状況分析と提言をおこなっているわけだ。
だから、ヨーロッパに暮らす人びとは、各国の政府がいっていることにどうにも納得できないとき、ラジオやスマホを手にしてバチカン放送に耳を傾けるという。
そのバチカン放送が、いま「第3次世界大戦」の危険性について語り、世界中の心ある人びとに訴えかけているわけである。
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さて、今回のポーランド旅行で、わたしはワルシャワ、ポズナン、トルン、そしてグダンスクと、およそ3週間かけてこの「21世紀の大国」を旅した。
町から町へひとりで歩き回ってまずおどろいたのは、トラム(市電)やバスで切符の検札員がひんぱんに現れることだった。
前年に訪れたオーストリアのウィーンなどでは、1週間ちょっとの滞在中1回も検札がなく、<オーストリアはかつて「帝国」だったこともあり、さすがに何事にもおうようなのだナー>といつも感心していた。
ところが、グダンスクのトラムでは、自転車を持って乗り込んだ青年が検札でひっかかり、次の停留所で強制的におろされて、身分証明証の提示を求められていた。
わたしもトルンの駅からバスに乗ったおり、1日券をたまたま「日付打ち込み機」にさしこむのを失念していたところ、若い検札員の男が来て、厳しいことを言われてしまった。
ポーランドの人びとが道路の信号のところで、車が全然こなくてもじっと青になるのを待っているのも、たぶん信号無視に対する取りしまりがきびしいからなのだろう。
ポーランドの列車は、定刻通りに発車して、定刻通りに目的の駅に着く。どうやら、ポーランド人は「規則」に従うことを重視しているようである。
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ところで、ポーランドに足を踏み入れたときから、私は街で意識して床屋をさがしつづけた。すでに1ヶ月以上散髪していなかったので、どこか適当な床屋があったら、すぐにでも入ろうと思っていたからだ。
しかし、ワルシャワ、ポズナン、トルンをほぼ毎日のようにあちこち歩き回っているのに、床屋らしき店はまったく目に入ってこないのだ。
行く先々でポーランド人をつかまえ、「男性用のバーバーを探してるんですけど…」とたずねても、相手は「ウーン…」とうなるばかりで、要領を得ないことはなはだしい。
<ポーランドの男は、家では母親や奥さんに頭をチョキチョキやってもらっているんだろうか…?>といぶかしく思いながら、とうとう最後の滞在地、グダンスクまで来てしまった。
そこで、意を決して、ホテルのフロント嬢に「ポーランドには床屋はないんですか。あなたのご主人はどこで散髪しているんですか?」ときいてみた。
30前後のチャーミングな彼女から得た答えは、意外なものだった。つまり、「夫はいつもわたしといっしょにサロンへ行って、調髪してもらっているワ」というのだ。
それで、彼女とご主人が夫婦で愛用している「サロン」への地図を描いてもらい、勇んで出かけることにした。
「SALON FRYZUR」という名の美容院は、ホテルから歩いて10分ほどの横丁にあった。外壁が全てガラス張りになっており、なかなかおシャレな店構えである。
ドアをおそるおそる開けて、中に入ると、すぐ左のレジの後に、40年配のポーランド人男性がドッカとイスに腰をおろしていた。
彼ははじめ、めったに来ないアジア人の男におどろいた様子だったが、わたしが「アイ・アム・ジャパニーズ!」といいながら、髪の毛をハサミで切る仕草をしたら、とたんにニコニコ顔になった。
たしかに、これまでの旅をふりかえってみると、ポーランド人には親日家が多いような気がする。
「イレ・ト・コシュトゥイエ?(いくらですか)」ときくと、28ズロチ(約840円)だという。安い!! ついに待望の床屋で、頭をサッパリさせることができるのだ。
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じっさいに調髪をする美容師は3人の女性だった。そのうちのひとりは、若くてスラリとした目の覚めるような美しい人で、<やはり、ポーランドには美人が多いナー>と感心していたら、その彼女がわたしをカガミの前にすわらせた。
ボラボー!!<長いあいだ苦労して床屋をさがし回ったかいがあったゾ!>と、天にものぼる心地でイスにすわったのだが、この世の中の現実はやっぱり甘くない。
彼女はわたしの髪をシャンプーしただけで、すぐ店の奥に消えてしまった。
<アーア、…>という大いなる失望と落胆から、しばし茫然自失の状態におちいっていたところ、チーフ格の“アラフォー女性”が出てきて、わたしの調髪にとりかかった。
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彼女は2種類のハサミとクシをたくみに使って、手ぎわよく長く伸びた髪を切っていく。まったく迷わない手さばきは、なかなかのものだ。
およそ20分で調髪をおえ、ドライヤーで切った髪をとばしたあと、整髪クリームで仕上げをした。カガミを改めてよく見ると、十分満足できる出来ばえだった。
ゆっくり立ちあがり、入り口のレジのところにいる“ニコニコ男性”にお金をはらって、店の名刺をもらった。「ビータ・ヤシコースカ! ビータ・ヤシコースカ!」と声に出してよむと、背後でエース格の女性が大きな声をあげて笑った。
どうやらこれは彼女の名前で、“ニコニコ男性”は彼女の夫であるらしかった。夫婦でサロンを経営しているのだろう。
そう、この人のよさそうなポーランド人男性は、江戸時代の「髪結い亭主」さながら、朝から左ウチワで気楽にたのしく毎日を送っている、というわけなのである。
これでポーランド編は終わり、次回からは待望のインド編です!
お楽しみに!!
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