旅行作家・小竹裕一の〈世界・旅のアラベスク その6 インド編〉
こんにちは!長い春休みが始まりましたね
みなさんは約2ヶ月の休暇をどう過ごしますか?”時間はあるけど、お金はない、、、”と嘆いているあなた!今までの小竹先生が書いた旅行記・世界・旅のアラベスクを全部コンプリートして、世界中を旅した気分を味わうのはいかがですか?
よし!決まり!こちらから読めるので是非読んでね!
〈世界・旅のアラベスク〉
(その6)
『男、男、男の世界・インド』
〜デリーを歩き回って〜
↑アグラの「イティマド・ウッダウラー」(アクバル大帝の妻が、両親の墓として造営した白大理石の廟)にて
インドの国の花、つまり「国花」は蓮の花だそうである。
その蓮といえば、われわれ日本人はすぐに池に浮かんで咲く、可憐な白やピンクの花を思いうかべ、仏陀(お釈迦さま)を連想する。
そう、たしかに日本人の多くが信仰する仏教は、およそ2500年ほど前に他ならぬインドで生まれた。しかし、奇妙なことに、生身のインド人と接触したことのある日本人は、昔も今もほとんどいない。
風の便りによると、本場のインドでは、仏の教えたる仏教はもはや見るかげもないほどに衰えてしまったという。
だが、現に今も日本に何万とある仏教寺院を前に立たずむと、お釈迦さまを生んだインドとそこに生きる人びとへの興味が、ムクムクとわき上がってくる。
〈よし、インド人がじっさいにどんな人たちなのか、自分の眼で確かめてやろう〉、そう思い立って、わたしは未知の国・インドへと旅立ったのだった。
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旅の目的地は北部インドのデリーにした。いつ行ったらよいのか、大学のインド人学生をつかまえて尋ねてみると、「3月から暑くなるので、2月ごろがいいんじゃないですか」とのことだった。
このアドバイスはまちがっていなかった。じっさいに、おととし(2017年)の2月22日の深夜、デリーの空港に降り立つと、外気は肌寒いほどだった。
そして、3月に入ってからは急にあつくなって、夏のような気候に昼間路上でハーハーいう仕儀となった。
やはり、デリーの旅は、2月初旬ごろインド入りし、中旬、下旬と歩き回るのがベストのようである。
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さて、デリーでの宿は、都心からすこし離れた三ツ星の中級ホテルにした。料金は、インドスタイルの朝食(「サブレ」という野菜カレー汁にパンをつけて食べる。コーヒー、紅茶も飲める)がついて3200ルピー。。
日本円にして約6400円(この時のレートで)だが、シングルの部屋は残念ながらそれほど広くなかったので、全体としてまあまあといったところか。
このホテルを根城として、オールドデリーやニューデリーを見て歩いたわけだが、まずデリーが東京などよりずっと樹木が多い、緑あふれる町なのにおどろいた。
広い道路の両側にはかならず木が植えられている。裏通りにはいると、けっこう大きな公園がそこかしこにあって、草花や樹木がおい繁っているのだ。
ある公園では、有名な火焔樹を見つけた。いまにも燃え出しそうなまっかな花々は、意外に高い幹の上の方で咲いていて、思わず天を仰いで感嘆した。
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ただ、問題は町をおおうものすごい排気ガスと土ぼこりである。
デリーの人口は目下およそ1100万人。インドの急速な経済発展につれて、都市のミドル・クラス(中産階級)が増え、彼らがクルマを所有し毎日乗り回しているのだ。
とにかく、デリーで大通りを渡るのは文字通り命がけである。歩道橋がめったになく、洪水のような車がとぎれることはほとんどない。
これは、交通渋滞をできるだけ避けるべく、市当局が信号の設置を制限しているためだろう。
また、インドでは人よりもクルマ優先で、ひき逃げや当て逃げが日常茶飯事というから、おそろしい。
地元の人は車のあいだを忍者のようにすべり抜けて、道を渡っていくが、慣れないわたしは車道へつっ込むタイミングがうまくはかれず、何回も車にはねられそうになった。
「海外旅行での死亡原因のトップは交通事故」、というのもむべなるかなである。
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さて、旅の流儀として、わたしは国内・国外を問わず、旅先の宿で旅装をとくと、まずは何はともあれ宿を中心に半径2〜3キロの地域をブラブラ歩き回ることにしている。
今回デリーには深夜に着いたので、翌朝さっそく“足ならし”に出かけた。とりあえず、ホテルのフロントできいた「ネルー・プレイス・マーケット」なるものをめざした。
20分ちょっと歩いて、その「マーケット」に着いた。わたしは「マーケット」というから、野菜や果物や魚、肉などの生鮮食品を売るところを想像していたのだが、じっさいは数百の店が集まる巨大なショッピング・センターだった。
大きなビルではなく、古い店舗が建ち並ぶ敷地を歩いて、ます気がついたのは、そこに集まる1000人以上の買い物客の中に、日本人や韓国人や中国人といったモンゴロイドのアジア人がひとりもいないことだった。
〈インド政府は中国人などに長期滞在ビザを出していないのかナ…〉と考えながら、さらに奥の方へ歩み出したわたしは、もっと驚くべきことを発見して仰天した。
それは他でもない、店の売り子や買い物客の圧倒的多数が若いインド人の男性であって、女性の姿はほとんど見られないのだ。
男、男、男の世界。〈インドの女性はどこに消えてしまったのか…〉と思ったとき、インドへ来る前に読んだある本の一節を思い出した。
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それは、「1957年出版」というから、今からもう60年以上も前に書かれた『インドで考えたこと』(堀田善衛著、岩波新書)という本だ。インドを初めて旅した詩人・小説家である堀田さんの「思想旅行記」といわれるが、その中にこうあった。
「夜に入ってカルカッタの街に散歩に出た。東京に比べたら、町筋は、はるかに暗い。つくづくと東京という都会が、恐らく世界でもとびきりに電力を消費あるいは浪費しているところであろうと思われてくる。(中略)
しかし、身にひしひしと迫ってくるものは、決してのんびりとしたものではない。私は異常なものを感じ出す。というのは、夜だからとはいえ、町に「女」がほとんどいないことだ。どれもこれも、男だ。男、男、男......。男ばかりの世界というものが、どんなに異常なものであるかは、軍隊で経験ずみな筈だが、軍隊などの強制組織ではなくて、都会の日常―そこで目につく人間がことごとく男であることの異常さ、しまいには、そこを絶えざる流れのように歩いているものが、「男」ではなくて、男根が歩いている、という気がしてくるのだ。息苦しくなってくる。」
わたしも「男ムンムンの世界」になんとも気分が悪くなって、ネルー・プレース・マーケットを足早に退散したのだった。
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数日後の日曜日、インドの地下鉄に乗ってみることにした。訪れた土地の乗り物を体験することも、いろいろな発見があっておもしろい。
ホテルからテクテク20分ほど歩いていくと、鉄道のホームが高架上にあった。おそらく都心に近づいたあたりで、地下にもぐるのだろう。
駅舎に入って、プリペード・カードを購入した。300ルピー(約480円。2019年1月の交換ルート)分をいれてもらい、別にデポジット料として100ルピー(約160円)はらった。
ホームに上がる階段の途中に小さな店があった。日本のキヨスクのようには、品ぞろえがよくないが、入口のところでカラフルな本が売られている。
〈どんな本なんだろう.....〉と思いながら、棚の上から下まで目を移動してみると、ほとんどが表紙に絵がついた英語のストーリー・ブックだった。デリーの乗客は、地元の作家が英語で書いた軽い恋愛小説を好むようである。
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ホームにあがると、ベンチがひとつあり、そこに腰をかけて電車を待つことにした。隣にはジーンズをはいた若い女性がすわっており、ブ厚い英語の教科書を読んでいる。タイトルは “Physics and Electronics” (物理およびエレクトロニクス)だった。
「大学生ですか」と英語で声をかけたら、彼女はニコッと笑って、「そうです。来週だいじなテストがあるので、塾で講習を受けてきたんです。」と言った。
なんと、今日は日曜日なのに、朝7時から4時間みっちり勉強したという。彼女は理工科の学生で、クラスの女子学生はほんの数人しかいない由。
さらに質問をしようとしたとき、電車がホームにすべり込んできた。それを見た彼女は、慌てて教科書をカバンに入れて、脱兎(だっと)の如くホームを走り出した。
〈なんであんなにあせって走るんだろう......〉と不審に思ったわたしだが、すぐに目の前のドアからひとり車両に乗り込んだ瞬間、彼女が血相を変えてダッシュした理由がわかった。
東京のラッシュ時並みに混んでいるその車両に、女性はひとりもいなかったのだ。そう、若い女子学生は、男ばかりの車両をさけて、列車の後部についた女性専用車両まで必死に走ったわけである。
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都市部のデリーでさえこんな状況なのだから、地方の農村では「昼間でも女性の姿を見ることはまれ」といわれるのもうなずける。インドでは、女性が一人で家から出て、外を出歩くのはよくない、とみなされているようだ。
そういえば、1週間ほどのデリー滞在中、足を出してスカートをはいている女性を見たのは、ミッション系学校の制服を着た女子高校生のグループだけだった。
インド版「男尊女卑」といおうか、インドでは女性を低くみる考え方が、今も健在らしい。人口統計でも、6歳以下の男児1000人に対し、女児は914人しかいない(2011年)。
これは、胎児の性別を秘密裏に調べ、女の子の場合には人工中絶をする親がけっこう多いからだと言う。
こうした女性軽視の保守的伝統に対し、近年女性側からの異義申し立ての動きがインド各地で出てきている。
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今年(2019年)1月、インド南部のケララ州で、ヒンズー教寺院への女性の参拝をめぐって、死傷者が出る大きな騒動が発生した。
インドでは長年の風習から生理中の女性を「不浄」とする考えがあり、州内でもとくに保守的といわれるサバリマラ寺院では、10歳から50歳までの女性の参拝をこれまで禁止にしてきた。
この「女人禁制」に対し、地元の女性たちが「自分も境内に入って、神様に祈りをささげたい」と主張し、このほど40代のふたりのインド女性が参拝を強行した。
これに怒った伝統重視の住民と女性支持派の住民が寺院近くで衝突し、1人の死者と100人以上の負傷者が出たという。(朝日新聞デジタル版、2019年1月5日付)
昨年(2018年)の9月に、インドの最高裁判所が寺院の女性参拝禁止を「差別的だ」として、寺院側に対し、女性たちの参拝を認めるように命じた矢先のことだった。
経済発展による近代化が急速にすすむインドで、これまで考えられなかったような大きな社会変動の地鳴りがとどろき始めているようである。
(次回につづく)
インド編はまだまだ続くのでお楽しみに!
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