『未知の世界へ思い切って旅立とう!〜2020年度・新入生への熱いメッセージ〜 小竹裕一』

みなさん、こんばんは!

本格的にオンライン授業が始まるのが伸びて、おうち時間がまた増えたな~とか、何をして過ごそうって考えている子も多いのでは??

そんな中で、大学生活が不安や心配を抱えているであろう新入生に、小竹先生からみんなの背中を押してくれるようなメッセージを頂きました。

必読ですよ~~!


「チェコ共和国の首都・プラハの駅にて。チェコはかつてオーストリア・ハンガリー帝国の領地で、モーツァルトもしばしばプラハを訪れていた。」


これまでの人生を振り返ってみたとき、大学4年の「卒業旅行」がエポックメーキング(新しい地平に立つこと)な出来事だったように思う。

今考えると滑けいきわまりないのだが、一人で大きな登山用の黄色いリュックをしょって成田空港に立ったとき、〈もう二度と日本へ帰ってくることはできないかもしれないナ……〉との悲愴な決意をしたものだった。

それが、シンガポール、マレーシア、タイ、香港、台湾と旅していくなかで、少しずつ自信のようなものが生まれてきた。同時に、未知の外国の町や田舎を歩くことの楽しさ、おもしろさ、さらには醍醐味がわかってきた。

この“決死の”卒業旅行によって、〈海外旅行〉というまったく新しい世界に目覚め、その魅力にはまったといえる。


それからというもの、毎月の給料をもらって旅行費用がたまると、もう居ても立ってもいられず、航空券を手に入れ、旅行カバンのパッキングを始める。〈今度行く国は、どんな旅になるだろう……〉と、いろいろ想いをめぐらすだけで、心がウキウキしてくるのだ。

周囲の友人・知人からは、「よく飽きないで毎年出かけられますネ〜」といわれるが、自分でもあきれるほど異国への旅にとりつかれてきた。

足かけ40年間で、100回以上海外へ出かけ、使った旅行費用は数千万円をくだらないだろう。

「病膏肓(やまいこうこう)に入る」というのは、こういうことをいうのかもしれない。


それでは、海外旅行の魅力とは一体どんなものだろうか。

まず、外国へ出ることで、普段の日常生活から完全に離れ、日本でのさまざまな“しがらみ”を断って、日々忘れていた純ナマの〈自由〉をとりもどすことができる。この〈解放感〉は、海外旅行ならではのものである。

また、異国の町で自分の国にはないものを直接経験することを通じて、未知の世界への好奇心を満足させることができる。同時に、ふだんの日常ですっかり忘れていた〈オドロキの心〉とみずみずしい感性もとりもどせる。

とにかく、外国ではそこに生きる人びとの話す言葉がまるっきりちがうので、いやでも〈異世界〉と直面し、自分なりにもがいて、そこでの生活を成り立たさなければならない。

すべて慣れきったスムーズな〈日常〉を離れ、ゴツゴツした全く新しい環境の中で、〈生きる〉ことの原点を思い出すことになる。

さらに、異世界でもがくなかで、自分のふだんの〈日常〉を突き放し、客観視し、根本から考え直す機会をもつことができる。そう、人は海外に出ると、哲学者に変身するのである。

また、すべてが思いどおりにいかない外国で何日もすごし、いろいろな不便や困難を自分なりに克服していく中で、自分自身に対する〈自信〉が生まれてくる。そして、帰国したとき、自分が何かひと回りもふた回りも大きな人間に成長したような実感が湧き上がってくるのだ。

もちろん、訪れた国についての知識がふえて、国際社会に対する認識が深まることはいうまでもない。


さて、外国へ旅立つ際、どうしたわけか私はいつも心の中で〈これが最後の旅になるかもしれないナ……〉とつぶやく。

この奇妙な心理について、あらためて考えてみると、どうやら心の底にある根源的な不安からきているようだ。

そこにどんな人間がいるのか、どんな危険があるのかまったくわからない未知の土地に足を踏み入れることの不安。予測不能のとんでもないハプニングや災難が待っているかもしれないという恐れ。

そういうものがいっしょくたになって、旅立ちの不可解な心模様をつくり出しているのだろう。

じっさい、勝手のわからない初めての土地では、自分の思い通りにいくことはまれだ。海外の一人旅に失敗はつきもので、また思わぬピンチに会うこともままある。


あれはもう数十年前、ニューヨークの治安がとてもわるかった頃のことだ。わたしは市内を2週間ほど歩き回り、“根拠地”のシンガポールへ深夜便のヒコーキで帰ろうとしていた。

そのとき持っていた航空券は、「空席があれば乗れる」という格安キップで、往路はまったく問題なく搭乗できた。

ところが、帰路の空席について航空会社に問い合わせると、「目下満席なので、荷物をもってチェックイン・カウンターに並べば、キャンセル席が出るかもしれない」という。

係員の話では、「今はイースター(復活祭)の休暇で、海外へ出かける人が多く、ここ数日の便はすべて満席」の由。

「イースターとは、全然頭になかったナー」とひとりごちながら、わたしはとにかく荷物をもって午前零時に空港のチャックイン・カウンターの前に並んだ。夜行便の出発時刻は午前1時半なので、30分前までにキャンセルが出るかが勝負である。

カウンターの前には、わたしと同様にキャンセル席を待つ旅行客が7〜8人並んでいた。〈どうなることやら……〉と不安いっぱいで待ちつづけたが、残席数を必死に数える女性職員の口からついにわたしの名前は呼ばれなかった。


午前1時のニューヨーク。天を仰いで、〈どうしよう……〉と考えをめぐらすうちに、それまで泊まっていたコロンビア大学の寮に電話をかけてみよう、と思いついた。

幸い夜番の女性職員が電話に出て、わたしが今の窮状を話すと、市内の安いホテルを紹介してくれた。さっそくそのホテルに電話をしたら、「シングルの部屋があいてるから、すぐ来い」との返事。

何はともあれタクシー乗り場へ急行して、なんとかイエロー・キャブをつかまえた。運転手はパキスタン人の中年男性で、顔面蒼白のわたしを心配して、いろいろ話しかけてくれた。

ホテルは、タイムズ・スクエアーのニューヨーク・タイムズ社の近くにあった。無事に運んでくれた運転手に、チップをはずんだのはいうまでもない。

ホテルのフロントにたどりついたとき、安ど感からかはじめてお腹がペコペコにすいているのに気がついた。ホテルマンにきくと、ホテルの隣に深夜営業のホットドック屋があるという。


フロントに荷物をあずけて、そのホットドック屋へ直行した。夜中だというのに、煌々とあかりが輝いている。

店主は60年配のかっぷくのいい黒人のおじさんだった。わたしの顔を見て何かしら感じとったのか、すぐに笑顔をひらいて、アツアツのホットドックと大ぶりのマグカップに入ったうまいコーヒーを出してくれた。

「地獄で仏」とは正にこういうことをいうのだろう。わたしはホットドックにかぶりつきながら、「こんなに夜おそくに、一人で大丈夫ですか?」ときいてみた。

おじさんは「ワシはニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。きっ粋のニューヨークっ子さ。ここのことなら、なんでもわかっている」といって、笑った。

わたしは身も心も満ち足り、おじさんに何回も礼をいって店を出た。時間はすでに午前3時をまわっていた。


このように異国の旅では、心あたたまり、感動的な〈出会い〉がある。それが意外なものであればあるほど、心に刻みつけられ、ずっと記憶に残る。

それはそうだろう。肌の色も顔かたちも体型も異なり、言葉や宗教や風俗・習慣や食習慣などもまったくちがった人びとと直に接触し、コミュニケーションをもつなかで、何らかの人間的な感動をもつことは一種の奇蹟である。

外国人の相手と心のふれ合いが生じ、〈ああ、やっぱり同じ人間なんだ……〉と思えるような経験がひとつでももてたら、その人の海外旅行は9割がた成功したといってもいいだろう。

国内旅行では決してもてない、こうした〈出会い〉こそ、海外旅行の大きな魅力だ。自分とは異質な人びとと接触し、交流する中で、自分自身が少しずつ見えてくる。

〈やっぱり、同じ人間性を持った同じ人間なんだ〉という実感というか、悟りのようなものを旅の中で体得できたら、それはまちがいなく一生を通じての宝物となるだろう。

さあ、未知の世界へ思いきって旅立とう!



どうでしたか?わたし(りさ)は、ちょうど留学から帰ってきたばかりだから、留学した当時のことを思い出したりしながら、新しい環境に飛び込むことが教えてくれることの大きさを再確認しました!新入生に限らず、ある意味みんなが“未知の世界”に直面している今、後ろ向きになりすぎないで、何か少しでもこの状況から学べるといいなーって思ったりもしました。それでは次回の旅行記もお楽しみに!

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